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たまには、いつもの甘いチャイではなく、すっきりしたストレートティーを飲みたい。
たまには、移動のためというより、ただ車窓を楽しむためだけに列車に乗りたい。
ふたつのわがままをいっぺんに叶えてくれる避暑地ダージリンは、ただいま夏休みで遊びに来ているインド人ツーリストで大にぎわい。
紅茶屋もトイトレイン乗車の起点となる駅もたくさんの人でごった返し、広場へ向かう道なんて休日の竹下通りのようなありさまだ。
もちろん紅茶とトイトレイン、この二大名物を楽しみにやってきた。
けれど、これまでのインドとは環境ががらりと変わったことが新鮮で、しとしと降るにわか雨もなんのその、迷路のように張り巡らされた小道をあてもなくぶらつくだけで「あぁ今日もいい1日だったなあ」と思える充実した時を過ごす。
まさかこのあとサイクロンの被害で足止めを食うことになるとは思ってもみなかったので、これならしばらくここでゆっくりするのも悪くない、なんてのんきに考えていたダージリン滞在前半の出来事。


最寄りの主要駅、ニュージャルパイグリに早朝降り立ち、ここからは車を乗り継いでダージリンへ向かう。
経由地のシリグリでジープに乗り換えるや否や、激しい雨と雷鳴。
ずどーんとおなかに響く雷の音を聞きながら、ドライバーの隣に3人、後部座席の2列には4人ずつという定員オーバーが標準らしいジープは、スピードを落とすことなくぐんぐん進む。
雨が弱まってきたと思ったら今度は霧が辺りに立ちこめて、周囲に広がっているであろう絶景の邪魔をしてくれる。

山道の途中にあった簡素な食堂でひと休みするのに車を降りると、半袖では寒すぎて鳥肌が立ち、だいぶ標高の高いところまで来たことを実感する。
チャイで体を温めたらジープに戻り、ふたたびくねくね道を行く。
いつしかトイトレインの狭い線路と併走し、商店や駅の並ぶ街らしい風景をいくつか過ぎて、たくさんの人と車でごった返す通りに着いたらここが終点のダージリン。
さすがは観光シーズンだけあって、駅前には大きなバッグを5個も6個も持ってきているインド人ファミリーが何組もいる。
そんな彼らとは対照的にここに暮らす多くの人はネパールやチベット系の住民で、あっさりした顔立ちをしている。
背格好も服装も日本人に通じるものがあり、これまで大きな目で遠慮もせずにじーっとこちらを見つめる彫りの深いインド人の中で過ごしてきたせいか、妙に心が落ち着く。

それはそうと、通りにはたくさんの紅茶屋がある。
さすがは世界一の紅茶生産量を誇る街、なんて思いながら店を眺めていたら、無性にストレートティーが恋しくなる。
早いところ宿に荷物を置いて、ティーブレイクだ。
さまざまな茶葉を販売する紅茶専門店の奥に併設しているカフェで、メニューを開く。
一番茶にあたるファーストフラッシュ、もっとも価値が高いとされるセカンドフラッシュ、いわゆる紅茶らしいしっかりした風味のオータム、その中でさらに茶園別、オーガニックなものなどに分かれ、ダージリン産だけでも数十種類もある。
どれを選べばいいかわからないほど種類が多すぎるので店員におすすめを聞けば「全部」なんて言われるし、まったく、どうしたらいいのか。
結局、値段の張るものほどなかなか日本では高価で手が出せないだろう、ということで、そこそこの価格帯のダージリン産をオーダー。

目の前に出されたのは上品な済んだ淡い色をした、高級なウーロン茶のような香りのするティーカップ。
一口すすると実にさわやかな味わいで、これまで日本で飲んできたダージリンティーとの違いに驚く。
これは摘んだ時期の違いなのか、ブレンドされていないもののためか、はたまた本場で味わっているんだ、という心理的作用によるものか。
いずれにせよおいしいことに変わりはなくて、せっかくだからもう1杯、と追加で飲んでいるうちにおなかが紅茶でたぷたぷになってしまうのであった。

ダージリン滞在中、ホテルでの優雅なハイティーを含めて5回もティーブレイクと称して紅茶屋に出かける日々が続いた。
せっかくのおいしい紅茶をぜひお土産にしたいと思い、いま飲んだものと同じ茶葉を買って帰りたいと言うと「Sorry,Drinking only」。
人気の高いダージリンティーは多くが輸出用に回され、結果、ダージリンの街で楽しむ分は少量しか確保できないのかもしれない。残念。
ただ、中には入手可能なものや同じ茶園でつくられた違う品種なんかがあったので、それらをいくつか組み合わせてお持ち帰り。

さて、もうひとつのお楽しみであるトイトレインだが、すでにインドの電車は充分すぎるほどお世話になっているので、ダージリンと次の停車駅グームを蒸気機関車で往復する遊覧用のジョイライドに乗車することに。
前日にチケットの予約を済ませ、あとは天気がよくなることを祈るのみと思っていたら、しばらくぐずぐずした天気が続いていたのに当日はうれしい好天。
早めに駅に行って、線路や駅構内の様子を写真に収めていたが、出発時間が近づいても一向にホームに列車の入ってくる気配がない。
遅れることは日常茶飯事だからとさして気にも留めずに待っていたが、親切なおじさんに声をかけられ、今日は運転が中止になったと教えられる。
本当に? アナウンスも何もなく、勝手に中止?
あっけにとられ、文句のひとつも言いたくなったが、それよりまずは払い戻しの手続きをしなければ窓口が14時で閉まってしまう。
なんとか払い戻しも、翌日の再予約もできてほっと安心したついでに、なぜ今日は運休になったのか尋ねると「たぶん……、蒸気の問題か何かだと思う」。
年代物を修理の手を加えながら使用しているのだもの、たまには機嫌を損ねて動かなくなるのも仕方ないのかな。
ただ、このすかっと晴れた天気の中を走れないのが、ちょっとだけ心残り。

次の日はいまいちぱっとしない空模様で、青空が見えたと思ったら天気雨が降り出して、次第に曇り始めるといった不安定さ。
しかし、この日はすでに客車が入線済みなので、運転は間違いないだろう。
無事に走ったとしても景色が見えないのではトイトレインに乗る意味がないから頼むぞ、と誰にお願いするでもなく思って、席につく。

ほぼ定刻通りに甲高い汽笛が鳴り、ゆっくりと走り出す。
カタタン、カタタンとかわいい音をさせながら、肩幅よりちょっと広い線路の上を進むトイトレイン。
手を伸ばせば店先の商品に届きそうなぐらいの、商店すれすれを通り過ぎる。
お母さんに抱っこされた子供が、こちらに向かって手を振っている。
これだこれ、イメージしていた風景は。
新しい発見もあった。
いちばん多く見かけたのは、両手で耳をふさぐ人の姿。
そして、トイトレインから降ってくるすすを払う人や、吐き出される煙に顔をしかめる人。
すぐ目の前を通るだけに、騒音も空気の悪さも結構なものなのだろう。
車内にいるとあまり気づかない出来事だが、これが毎日何度も繰り返されるのだから大変だ。
申し訳なく思っていたら、窓から入り込んできた石炭の燃えかすがレインジャケットに落ちてきて、まだ熱が残っていたのか溶けて穴が開いてしまった。

街中では何かと肩身の狭かったトイトレインだが、周囲に広がる山々を一望できる開けた場所まで来ると、だいぶいきいきと走っているように感じる。
一発汽笛を鳴らして徐々にスピードをゆるめ、停車したところはバタシアループ。
線路の内側はたくさんの花がきれいに植えられた公園になっていて、ここを訪れるためにやってきている家族連れもいる。
本来であれば美しい景色を見渡すことができる人気のポイントだが、あいにく青空はほんの少し雲間から顔を見せるだけで、全体的にはぼんやりした眺めしか拝めない。

ふたたび走り始めたと思ったら商店がまた線路脇すぐに並ぶようになり、街が近いことを知らせている。
ほどなくして到着したのは折り返し地点となるグーム駅。
お世辞にも見どころとは到底言い難い展示の鉄道博物館を有するこの駅には、30分停まるという。
数分で博物館を見終えたら、さてあとはどうしよう。
近くにはチベット系の僧院があるにはあるが、そこまで足を伸ばしている時間はなさそうだし、かといって駅前は大して見るほどのものでもなさそうだし……。
そこでぱらぱらと小雨の降る中、停車中のトイトレインを観察することで暇つぶしをしようと考えた。
30分間の休憩は、乗客のためというより機関車のために設けられた時間だろう。
燃え切った石炭を一度線路の上に掻き出し、新たに石炭をくべたり、さまざまな部品に油を差したり、水を補充したり。
出発間際まで整備士たちが忙しそうにせっせと動き、終わったところでトイトレインに足をかけてのんびり一服タイム。
本当に手間のかかる乗り物だけど、やれやれと思いながらも皆トイトレインのことが好きで、誇りに思っているのかもしれない。
真意のほどはわからないが、なんとなくそんな風に思える。

復路はとくに目新しい風景に出会うわけではないので、座席に深く腰掛けてぼんやり外を眺める。
たまに進行方向とは反対のほうからやってくるバスの一団が、物珍しそうにこちらを見ながらカメラを構えてくるのがおかしい。
見物するために乗車しているはずなのに、逆に見られる側になるなんて。
この珍事のおかげでぼーっとしていた頭が冴え、ふたたび行きのときのように前に乗り出して車窓を眺めていたら、さっきまでは雲のかたまりしか見えなかったはるか先に雪山が出現しているのに気がついた。
ころころと天気が変わりやすい山の土地だからこそ、絶景が見たかったら一瞬たりとも気を抜いてはいけない。

大した遅れもなく、無事にダージリン駅に戻ってくる。
着いた途端に、とくに名残惜しい様子も見せずに降りていく人たち。
いちばん最後にホームに降り立つと、出発前と違って人も少なくがらんとした雰囲気。
トイトレインも、さあ一仕事終えたと言わんばかりにさっさとここを後にする。
ずっと乗ってみたいと願い、いざ叶うときが来たとなったらこんなにあっさり時間が過ぎてしまうとは。
乗ってよかったことには違いないが、もっと余韻に浸るのだろうという予想に反して現実はなかなかあっけない。
ひとつの街で、これだけのんびり過ごしたのはこの旅ではじめてのこと。
刺激の多すぎるインドにおいてこれまでのように毎日が外出の連続、ではなく、せいぜい1日にひとつの用事をこなすぐらいのペースでやってきたせいか、どうもさまざまな感覚がゆるんでしまったようだ。
だから五感がこのペースダウンについていけず、おいしいダージリンティーにもかわいいトイトレインにも、もっと反応してもよさそうなところで感動が薄くなってしまったのかもしれない。
もしかしたら、帰国してからいちばん恋しくなるのが、このダージリンでの日々だったりして。


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2009.5.24 ダージリン / Darjeeling

Join the discussion 8 Comments

  • 匿名 より:

    紅茶好きなもので、ひそかにダージリンの話を待っていました。
    お店を見る限り、おびただしい種類ですね。
    いろんな楽しみ方もされてうらやましい。
    茶葉専門店のおねえさんも美人・・・。

    ダージリンの高級品って、青く爽やかな香りが
    ものすごーく心地いいですよね。日本だとその高級品、バカ高くて・・・。

  • かな子 より:

    ■No Nameさん
    そうですね、確かに青くさわやかな風味でした。
    ホワイトティーはさらに高価でしたよ。
    お店によっては150種もカフェで楽しめるところがあったのですが、さすがに全種類制覇は無理でした(笑)。

  • choki より:

    すみません。No Nameは私でした。
    150種ってすごいですねー。ストレートティーオンリーですよね(フレーバーなしで)。

  • かな子 より:

    ■chokiさん
    やっぱりそうでしたか。
    ただ、もし万が一違ってたら失礼だな、と思ってあえて名無しさんにしてしまいました。
    いつもコメント、ありがとうございます!
    あ、150種のうちには、若干のフレーバーティー(アールグレイなど)も含まれていました。

  • 霧のまち より:

    ダージリン、懐かしいです~。
    私も酷暑のデリーから行ったので あの涼しさは宝物でした。 避暑の方々も多かったですね。
    あの街は 英国・インド・チベットの文化がMIXされていて なかなか面白いところです。
    紅茶も現地で買うと安いですよね。

  • かな子 より:

    ■霧のまちさん
    涼しいからとにかく温かい紅茶が体に染みました。
    ダージリンティーだけでなく、チャイもたっぷり飲んでいたので、つねに水っ腹でした(笑)。
    お土産として買ってきたダージリンティーは今でも大事に飲んでます。あ、でもそろそろ賞味期限が……。

  • べい より:

    こんにちは、はじめまして、
    今度インドに行くんです。ブログをみて
    楽しみになりました。

  • スミサト より:

    ■べいさん
    はじめまして。
    インドに行かれるのですね、今からはちょうどいいシーズンなので楽しみですね。
    ブログを拝見しましたが、漫画の取材旅行とか。
    何かに掲載されるのでしょうか、載ったら是非教えてくださいね。

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