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階段を少し上っただけで息が切れる。
だが、ここは高地ではない。
最高気温45度、ガンジス川を有するヒンズー教最大の聖地ヴァラナシ。
酷暑季真っ只中のヴァラナシの暑さは、想像以上にとんでもないものだった。


冷房の効き過ぎた列車から降りてやっと寒さから解放されたとほっとしたのも束の間、外に出た途端に暴力的な暑さに思わず顔がゆがむ。
上からは直視できないほど真っ白い光を放つ太陽光が、下からはハロゲンヒーターの真ん前にいるような放射熱が、容赦なく照りつけてくる。
これだけ暑いにもかかわらず、駅から出てきた外国人を捕まえようと必死のリキシャードライバーたちが怒っているかの形相で近寄ってきては、大声で「乗れ、100ルピー(約200円)!」と高すぎる上にしつこく迫ってくる。
あまりの暑さに判断力も鈍り、もう誰でもいくらでもいいから早く宿へ連れていって、という思いが頭をかすめる中、どうにか理性を保って交渉し、1台のオートリキシャーに乗り込む。
ガンジス川沿いには沐浴をするためのガートと呼ばれる階段が80以上もあり、それぞれに名前がついている。
宿を取ったアッシ・ガートはガンジス川の最上流に位置していて、落ち着いた雰囲気ながら付近には感じのよいカフェやショップが点在するエリア。
穏やかなガンジス川を眺められる部屋を押さえ、暑すぎる日中は室内で気ままに過ごす。
夜になって食事を取るために外に出てみても暑さは相変わらずで、食後にしばらくガートに座って道行く人を眺めようとしたものの、岩盤浴をしに来たのかと思うほどおしりから伝わる熱で即座に全身汗だくになり、5分ともたずに宿へ戻る。

翌朝、日の出と共にボートに乗ろうとアッシ・ガートへ出向くと、待ってましたとばかりにボート漕ぎに囲まれ料金の件で押し問答。
決着がついたら早速出航、行きは川の流れに乗って進むのであまり漕がなくてもいいから楽そうだ。

朝のガンジス川には、沐浴する人のそばで勢いよく水しぶきを上げながら泳ぐ人がいて、石けん片手に体を洗う人がいて、洗濯をする人がいて、歯磨きする人がいる。
ガートによっては洗濯場として使われているところや火葬場になっているところもあり、川の上からだと隣り合っているガートと比較できるからそれぞれの特徴がよくわかる。


だんだんと沐浴をする人の数が増え、ガートの上もたくさんの人でにぎわってきたなら、それはメインガートと呼ばれるダシャーシュワメード・ガートまで来た証拠。ここが折り返し地点だ。
これまでとは違い、押し合いへし合いの芋洗い状態での沐浴風景はまさしくヴァラナシの印象そのもの。
そして、これぞインドという光景を前にしてただただ見つめるのみ。

流れに逆らっての帰り道は、重労働。
ボート漕ぎの荒い息づかいを耳にしながら、座っているだけでも汗がじんわりにじむ暑さにまた今日も灼熱の1日が始まる、と実感する。

穏やかなアッシ・ガートもよいけれど、さらなるヴァラナシらしさを求めてメインガート近くへ宿を移すことにした。
宿の条件として譲れないのはエアコンがついていることと、部屋からガンジス川が見えること。
このふたつをしっかり満たす良宿を見つけ、狭く細く入り組んでいるために太陽の光があまり届かないベンガリートラという小道をバックパック担いで歩いて向かう。
ただでさえ狭い道を、超重量級の巨大な牛が寝そべっていて通れない。
かと思えば、バイクがクラクションを鳴らしながら結構なスピードで走り抜けていったりと、いろいろな場面で考えられない出来事に出くわし、良くも悪くもアッシ・ガートとは対照に刺激的だ。
暑すぎる今はオフシーズンのため閉まっている店も多いが、両脇に隙間なく並ぶ洋服屋や楽器屋のあいだを通って歩けるというのも、あちらとは違う別の楽しみがある。



日中はこちらのガートも人の気配があまり感じられない。
川の中には水浴びを楽しむ何人かと、黒くうごめく牛の背中がたくさん見えるだけ。

それが夕方、日が傾いてくるとガートは建物の影になり、昼間の人っ子ひとりいなかったガートにいつの間にかたくさんの人が集まってくる。
川辺のチャイ屋で入れてもらったレモンティーを片手に、一変してにぎやかになったガートに座って周囲を見渡してみる。
クリケットをしたり、凧揚げをしたり、目の前には日本の川原とさほど変わらないのどかな風景が広がる。

でも、ガンジス川がほかと決定的に違うのは、この聖なる水に浸ろうとインド中から多くの人が集まり、死ぬときにはぜひこの流れの一部となりたいと願うこと、のはずだ。
そう頭の中に知識として入っていても、水泳教室として使われている川を目の前にすると、生活と信仰の境界線がまったく曖昧で、これまで抱いていた厳かなイメージがほとんど感じられない光景に、少々面食らう。

19時になり、メインガートで毎晩行われるプージャ(お祈り)を見に行く。
大勢の人が集まってガートに座り、ガンジス川へ祈りを捧げる儀式を見守っている。
やはりここでも堅苦しいとか重々しい空気はなく、がやがや好き勝手にしゃべってにぎやかなものだ。
皆で聖者の手拍子に合わせて叩くときも、好き勝手にやるものだからリズムはバラバラ。でもそんなのはちっともお構いなしだ。

だけど、祈る段になると彼らの表情は真剣そのもの、ぴったり息が合い、一斉に目を閉じて手を合わせる。そして、その後はまた大声でおしゃべりを始め、写真や動画の撮影に夢中になる。
まだプージャは続いているが、集団を抜けて川沿いへちらっと寄ってからもうそろそろ戻ることに。
葉っぱでできたお皿に入った花とロウソクのお供え物を売る人がいて、それを買った人がロウソクに火を灯してもらってはそっと川へ放ち、流れに乗るようぱしゃぱしゃやったら、一心に祈る。
その姿は、それがたとえ女性であろうと男性であろうと、美しくて見惚れてしまう。


次の日は、ふたたびボートへ。前回行けなかったもっと下流のガートまで行って引き返すルートをお願いする。
沐浴する人でごった返すメインガートを過ぎると、途端に静かになる。

途中、火葬場として有名なマニカルニカー・ガートを通ると火が上がっていて、遠目にも人が焼かれているというのがわかる。
すると新たな遺体が竹で組んだ担架に乗せられてやってきて、火のそばに置かれる。
滅多に人の亡骸を見ることなんてないからちょっと怖い気もするけれど、もっとちゃんと見ておきたいという気持ちもする。
帰りにもここを通ったが、やっぱりただ通り過ぎるだけではわからない、という思いが残った。

ボートを下りたらいったん部屋へと戻り、着替えて再び外へ。
ヴァラナシに来たからにはガンジス川に入ろうとメインガートあたりまで行き、洋服を脱いで階段を1段1段下りる。
水面すれすれのところは藻がびっしりこびりついてとても滑りやすくなっているから、足先には神経を集中させてゆっくり川の中へと進む。
心地よい水温だとは感じるもののとくに聖なるものに包まれているという実感も湧かず、それより足裏に感じる無数のゴツゴツした何かの正体が気になってしまう。

川から揚がると聖者がお祈りをしてくれる。
自分の名前、家族の名前を、ヒンズーの神々の名前を聖者にならって復唱する。
終了後、家族1人につき100ルピー(約200円)を払え、とオートリキシャーのドライバーみたいなぼったくり価格を要求してくる。
これじゃ聖者なのか悪者なのかわかりやしない。小銭を渡してとっととその場を去る。
ガンジス川は、信仰心と同じくらい警戒心を持たねばならないところなのか。
それだけ人が集まるという証拠なのだろうけど、どうしても聖地なのに、という思いが頭をかすめる。

ヴァラナシを去る日の早朝、出発の準備はまだちっとも終わっていなかったけれど、夜明けのガートを大した目的もなく歩く。
まだほの暗い空の下、メインガートではすでに沐浴をする人でごった返している。
それを横目に歩いていると、薪がうずたかく積まれた火葬場、マニカルニカー・ガートへと辿り着く。
川のそばでは、遺体を前に別れを惜しむ家族の姿。
そして手前のほうにある火に目を移せば、足だけが燃え残っている亡骸。
言葉も出ず、ただじっと見つめる。
そばを、携帯で話しながら通り過ぎる人がいて、とくに目をくれることもなく行ってしまった。
取り立てて気にすることでもない日常のことだから、なのか。
そばのチャイ屋でチャイを頼み、燃えさかる炎を見つめながら考える。
聖なる川の力とはなんだろう。残念ながら、我々はそんなシンボルとなるものを持ち合わせていない。
祈るということも困ったときぐらいのもので、何かを絶対的に信じるということもない。
だからガンジス川にこれまでの罪を清めてもらい、死んだらそこに流されることを望むヒンズー教徒と同じ心持ちになるのは恐らく無理だろう。
けれども、沐浴する人や祈る人、瞑想する人、巡礼者としてさまざまな聖地を渡り歩くサドゥーを目にするとなぜかはっとさせられ、その姿に大いに惹きつけられる。
真似できないまっすぐな祈りの姿勢や、大いなる流れでその思いと生活排水や水泳教室までも引き受けてくれるガンジス川で繰り広げられる光景はあまりにも特異で、それでいてあまりにも美しくて、ときにおかしくて、なんだかまぶしいものを見て目を細めているような気分になってしまうのだ。






■ おまけ ■
今回も飛び込みました。

過去の様子はこちらにて。

大きな地図で見る
2009.6.12 ヴァラナシ / Varanasi

Join the discussion 8 Comments

  • ヤスコ より:

    まってました!
    今回もやったね〜おめでとう☆

  • 随念院 より:

    はじめまして、10日ほど前、ミクシーから辿りつきました。前の分まで楽しく拝見しています。バーラナシのガートには数回行ったのですが、いつもツアーで2時間ほど。こんなに詳しいレポートに感服しました。それにしても、最初の暑さが、後になるにつれて感じられなくなり(そんなことはないでしょうが)、ガートを堪能された様子が素晴らしいです。ガートのホテルもよかったですね。
    バーラナシといえば、宗教的な沐浴風景が、テレビや写真集、ガイドなどで報告されますが、実際は、洗顔、歯磨き、風呂代わり、洗濯、夕涼みなど生活面が多いことはあまり報道されません。水泳教室にはびっくりしました。
    狭い通路の様子など、よく描かれています。人間だけでなく、牛、犬、猿など、すべてが混在、おまけにバイクとは。
    あの汚い(失礼、インドの人には怒られます)水で沐浴したり、飛び込んだり、よくできましたね。すっかりインドに溶け込まれていることがよく分かります。
    よくコルカタがインドの縮図と言われますが、ベナレスのガートが、そのさらに圧縮ですね。今後を楽しみにしています。
    前回、ブッダガヤーのところでもいろいろコメントしたかったのですが、つい。今後、思い切ってコメントさせてもらっていいですか。

  • ガク より:

    この季節のバラナシは正直暑すぎて、ひなたを歩けない。
    しかも飯にすぐ当たるし、かといって冷えたビールもどこでも飲めるわけじゃないし。
    この後どこに向かうのか期待しています。
    ダラムシャーラーあたり?

  • nakano より:

    やすこさんに続いて、
    今回もやったんですね、いいねぇ~。^o^
    やすこさんってやすこさん?変な質問(笑)
    まみーっす、お久しぶりで~す。

  • スミサト より:

    ■ヤスコさん
    恒例行事ということでね。
    おめでとう(笑)?
    ありがとう?
    ■随念院さん
    ご覧いただき、ありがとうございます。
    民族と自然の宝庫、西の地方へ<後編>でコメント頂いた随念院さんと同じ方でしょうか。同じハンドルだったので、もしかしたらと思いました。
    ヴァラナシの暑さ、後半は多少慣れてきたかもしれないです。
    日中でもベンガリートラを結構歩いたりしていましたし。
    日本のテレビとかで水泳教室とかを取り上げないのは、趣旨が違うからでしょうね。やはり聖地としての方向性で撮ることが多いでしょうから。
    今後もぜひコメントで感想をお聞かせ頂ければと思います。
    ■ガクさん
    そうそう、ホントにキンキンに冷えたビールが恋しくて仕方なかった。
    今はキンキンのビールも楽しんでます。
    でももうすぐ自粛しないとイケないエリアに向かいます。
    ■nakanoさん
    今回もやったよー、恒例行事ということで。
    ちなみにヤスコさんは、nakanoさんの知っているヤスコさんとは別の方です。
    あのヤスコさんは元気かなー?

  • nakano より:

    そっか~、人違いでしたか。
    失礼しました。
    元気かなぁ。インドでガイドするとか言ってましたねぇ。

  • 随念院 より:

    そうです、カッチ湿原の記事に感動してお邪魔した随念院です。私は足立弘子編『インド 砂漠の民と美』(大地の果てへ 布を求めて)と言う本を持っていますが、この本は、グジャラートとラジャスタンの砂漠の民の衣裳を主題にした写真集でして、あの日記そっくりの衣裳があり、貴殿の写真にはあの本よりさらに素晴らしい衣裳が写っていて、びっくりしたのです。めったに日本人の行かないところ、帰国されたら、ぜひまとめて披露してください。いま次のタージマハルを楽しみに読んでいます。
    今後ともよろしく。

  • かな子 より:

    ■nakanoさん
    周りに「やすこさん」が多くて、不思議なことに。
    どの「やすこさん」も、ステキな人が多いのだけど。
    インドでガイドとは、いやはや、やすこさんらしい(笑)。
    ■随念院さん
    布に興味のある人には、グジャラートもラジャスタンもかなり刺激的でしょうね。
    とにかく図柄のユニークさがほかの州より際立っていたように思います。
    帰国したら、ぜひその本も見てみたいです。

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