チベットよりもチベットらしいと言われるラダック地方。
住んでいる人の顔立ちも家のつくりも、絶景を背にゴンパ(僧院)が点在しているところも、インドのほかのエリアとはだいぶ趣が異なる。
チベット文化に触れたくて、美しい自然を求めて、シーズン中には大勢のツーリストが集まってくるのでとてもにぎやかだ。
それはつまり、どこへ行ってもツーリストの姿がついて回るということでもある。
勝手な願いとは重々わかっているつもりだけれど、せっかくこんなに遠くまで来たんだもの、いつもと変わらない日常らしさも少しでいいから見てみたい。
そんな気持ちを持ってやってきたのは、隣の州ヒマーチャル・プラデーシュにあるスピティと呼ばれる荒涼とした谷間の地域。
もこもこと隆起してできたような岩山の連続に、ふもとに流れる広大な川。こんなにスケールの大きな風景の中に存在する村では、どんな日々が繰り返されているのだろう。
スピティの中心地であるカザに到着したとき、ちょうどダライ・ラマのスピーチを聞く機会があった。
ラジオを持参すれば英訳の放送が聞けたと知ったのは会場に着いてから。
そのためチベット語のわからない我々には話の内容は理解できなかったが、笑顔を絶やさずやさしく語りかけるように話すダライ・ラマを食い入るように見つめ、熱心に聞き入る周囲の聴衆を目の当たりにして、ちょっとだけチベット文化圏の普段らしい表情を垣間見た気がした。
いいなあ、この感じ。穏やかな暮らしの中に信仰が息づいているのをしっかりと感じられて。
もっと小さな村々を回れば、きっとステキな出会いが待っているに違いない。
しかし、この辺りは持っている情報が少なくてどこがどんな村なのか、またどうやって行けばいいのかがいまいちわからない。バスターミナルで出発の時間を尋ねても、人によって回答はまちまち。ただ、バスの本数が非常に少なく、いつでも満員らしいことはわかった。
そう言えばカザに来ているツーリストは割と年齢層が高めで、車をチャーターして回っているであろう人が多いというのも、この交通事情を考えればなんとなく頷ける。
タボという街へは割とバスが出ているみたいだから、次の目的地はそこにしようかな。
と決めたところで、その後に出会ったツーリストたちが口を揃えて言った一言がじわじわと気になり始めた。
「ダンカルのゴンパは本当に素晴らしいよ。今までに訪れた中でいちばん感動した」
ダンカルはカザから車で1時間ほどいったところにある村で、そのはるか上の険しい崖に、村を見下ろすようにして建っているのがダンカル・ゴンパ。
そんなに素晴らしいならぜひ行ってみたいとは思っても、ここまではバスが通っておらず、タボ行きのバスに乗って途中下車してから歩いていかなければいけないと言う。その距離、10km。
バックパックを担いでそんな長い距離を歩けるか? いや、無理無理。
まだまだ標高も高いし、坂もきついはずだし、未舗装で歩きづらい道だろうというのは容易に想像がつく。それでもここまで来たならどうにかして行きたいという思いをばっさり断ち切るのも難しい……。
よし、車をチャーターしよう。
実はレーかマナリで本格的なトレッキングをしようと思って予算を残していたのに、結局やらずじまいだった。この資金を使うなら、今だ。そう思ってタクシーでダンカルに立ち寄ってからタボへ行ったらどれぐらいかかるのかを聞いて回って、翌朝9時に迎えに来てもらう約束をした。
はにかみながらあいさつをしてきたドライバーの運転は安全そのもの。ただせっかくの快適貸切ドライブなのにどんより曇っていて、道も空も山も灰色がちなのが残念だ。
ぼんやり車窓を眺めていたらメインロードを外れて細い坂道に入り、砂利の山をゆっくり上り始めた。すれ違う車はたったの1台か2台きり、人影も標識もないこの道を自分の足で登らなくてつくづくよかったと思う。後で知ったところによると、徒歩で向かう道はまた別にあるらしいのだけど。
走り続けてしばらくすると、鋭利な山のてっぺんにへばりつくようにして建っている白い建物が見えてきた。あれがダンカル・ゴンパ?
ドライバーはうんうんうなづき、だんだん近づくにつれて大きく見えるようになるとその堂々とした姿にぞくぞくしてくる。よくぞあんな険しい場所に、と感心せずにはいられない。歩いて登ったらきっと感動もひとしおだろう。
ダンカルの村に入り、急なヘアピンカーブを曲がるとゴンパへはもう一直線だ。
すると道に立っていた僧が車に乗り込んできた。ガイド役かな、と思っていたらドライバーのお兄さんでダンカル・ゴンパに住んでいるのだという。
ゴンパに着いて、まず通されたのは僧がお茶や食事を取る部屋。若い僧に指示をして、入れ立てのチャイをふるまってくれる。ダライ・ラマが訪れたときにも出したらしいツァンパをお茶請けに、あつあつのチャイをすする。
ほっと一息ついたら、先ほどチャイをつくってくれた若い僧がゴンパ内を案内してくれる。本堂に収められたタンカ(仏画)はどれもかなり古そうで、破れてしまっているものもあるけれど精巧な筆致にはただただため息が出るばかり。どれぐらい前のものかを尋ねると約1000年前、と答えていたような気がするが、あまりの古さにびっくりしたせいかはっきりと覚えていない。とにかくずっと、へぇ、ほぅ、と言いっぱなしで年代物に見入っていた。
読経が聞こえてくる部屋へは女性立入禁止なので、ひとりで乗り込んでもらって後ほど中の様子を教えてもらうことにした。
曰く、わずか4坪ほどの部屋に入ると僧侶がひとり読経中で、上から吊してある大きな太鼓と膝の上に置いたシンバルを叩き続けながら、ときどき経典をめくっては休むことなく唱えていた。その声にじっと耳を傾けている外国人ツーリストの邪魔をしないように見渡すと、壁面は古いタンカで埋め尽くされ、正面の祭壇には生花を手のひらに載せた仏像。小さいスペースながら、重厚な雰囲気に身が引き締まる思いがしたという。
内部撮影不可というのがなんとももどかしいけれど、できるだけ元の保存状態と秩序を保ったまま後世へ伝えていく使命があることを考えれば、それも仕方がないことかもしれない。
ゴンパを後にすると、すぐ脇にある民家からドライバーがひょっこり顔を出して「チャイでもどう?」と声を掛けてきた。てっきり彼の家かと思ったら別にそういうことではないらしいのだが、なぜか家にあがってチャイと自家製ダヒー(ヨーグルト)をごちそうになる。ツァンパをかけて食べるとおいしいと言うので試してみたら、どこかで食べた覚えがある。なんだろう……、あ、一時期流行ったヨーグルトにビール酵母をかけたときの味によく似ている。ちょっとしか食べなくても満腹になるところもそっくりだ。
お昼の時間は過ぎたが、さまざまなおもてなしのおかげですっかりおなかも膨れた。天気も回復してきて、青空が顔を覗かせるようになった。別の角度から崖の上にそびえるゴンパの全貌を眺めることもできた。うん、満足。さあ、タボを目指そう。
下り坂を快調に進み、午後の早い時間にタボ到着。
前日にダライ・ラマが訪問していた街にはスピーチに合わせてやってきているらしいツーリストの姿もちらほらあり、まだ歓迎ムードが残っていて静かな活気に満ちている。
ドライバーにお礼を言って別れたら、さっそく宿のすぐ前にあるタボ・ゴンパへ向かう。
これまで見てきたゴンパとはだいぶ異なり、乾いた土そのままの色、丸みを帯びた形状はどこかの遺跡を訪れているみたいで、真ん中の広場に設えられたウッドデッキもゴンパらしくはないけれど広々としていて気持ちがよい。
ウッドデッキに寝転がって昼寝をしている男の子を横目に、もっと近づいてゴンパを眺める。
ちょうどほかにも見学者がいたのでいっしょに見て回ることにしたが、驚くほどチベット仏教に博識な方ばかりが集まっていてちょっぴり肩身が狭い。
懐中電灯片手に、あの壁画はこんな姿を表しているといった話を聞きながらいつもより時間をかけて見学することになったが、おかげで普段ならあまり目がいかないような細かい違いに気づくことができた。たとえば、同じような仏の絵が3つ並んで描かれているのは、過去・現在・未来という変遷の表現だとか、壁に沿ってずらりと並ぶ仏像群はマンダラの構成要素のひとつだとか、出来映えの美しさというものを超えた本来の意味を知ることができたのは大きな収穫だった。
ただし見終わったあとは集中していたのか、どっと疲れが出た。
翌朝、次の街へ移動する前にふたたびタボ・ゴンパを訪れる。
今度は青空も広がり日の光もばっちりで、朝の凛とした空気の中にひときわ大きな存在感を示しているゴンパのあいだを縫うように歩き、ひとつひとつのいい表情はどの角度だろうとじっくり向き合う。
白い壁のゴンパを数々巡ったあとだけに、素朴な雰囲気漂う土壁むき出しのゴンパは思わぬ変化球のように感じられて面白く、ついつい時間をかけて見入ってしまう。
ぜいたくな散歩のおかげで、朝から気分爽快。
さらに絶景を見ながらおいしいコーヒーとパンの朝食をいただき、すでに心は充実感でいっぱい。
これからの長時間移動も、今日なら難なく乗り切れそうだ。
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2009.7.16 ダンカル – タボ / Dankar – Tabo
そろそろインド脱出?と思っていたららダックですか!
バリバリのインド?だね。
カシミールは自分の中でも時間をかけていきたいと思っているところの一つです。すごくいいシルクの布なんかもあるしね。
今回自分はタイでずっと仕事していたのでむしろ旅に出たいストレスは溜まりました。
大自然に囲まれたい!
P.S 8月22,23日にあきる野でミナさん、てつさん夫婦とか純子さんとかとBBQしているので奇跡的に帰って&時間があったら遊びに来てください。
■GAKUさん
ブログの更新が遅れていて、現在は違う場所にいるんですよ。
分かりにくいですが、文章の最後に日付を乗せています。
スピティはカシミールではないんですが、カシミールのシルク売りは全国的に沢山いました。どこもわりと押し付けがましい感じ。(笑)
あきる野はGAKUさんの家で?楽しそう!詳細希望です。!
インドでもこんなところがあるのですか。まるで月の世界みたい。愛らしいゴンパのそばに木が生えているくらいでまったく緑が見られませんが、ここらには畑はあるのでしょうか。住民は生鮮野菜などはどうしているのでしょうか。
チベット仏教への信仰心はすごいですね。
■随念院さん
マナリからレーへ向かう道は、さらに月っぽかったですよ。
行ったことがないのに、不思議と皆そう思ってしまうのがまた面白いですよね。
畑はあるのですが、恐らく大麦やそのほか寒冷地向きのものしか栽培していないと思います。
それでも市場に行けば葉もの野菜など、種類豊富に並んでいました。