「偶然」といっても、たまたま運が良かったからでは、もちろんない。
ふとした縁で出会った人や出来事にちゃんと向き合い、丁寧に対応し、その積み重ねによっていつの間にか装丁家として仕事を受けるようになっていた、その流れが「偶然」だった。
『偶然の装丁家』著者、矢萩多聞さんの半生は波瀾万丈だ。
中学で学校に行くのを辞め、14歳からインドで暮らし、絵を描き、帰国した際に個展を開いて作品を販売し、そしてふたたびインドへ……、という生活を繰り返し、現在は京都とインドの二箇所に居を構える。
要約すると、強烈な個性の持ち主がぶっ飛んだ生き方をしているような印象かもしれないが、本書を読み進めると真っ当な人生を歩んできたことが、数々のエピソードから伝わってくる。
ただ、日本で暮らす大多数の人とはちょっぴり違う道を進んだ、というだけで。
それにしても、やっぱりインドは一筋縄ではいかない。
思わず「インドだな~」と笑ってしまったのが、ADSL回線を契約したら、数キロ先のプロバイダーの事務所からLANケーブルを延々引いてきた、という話。
ただ、単なる笑い話で済まさないところが矢萩さんの素晴らしいところ。
どうしてこういう事態になったか考察し、インドで日々繰り広げられる不可解な出来事にもちゃんと理由があることを教えてくれる。
旅するだけなら風習や国民性の違いを面白がるだけでいい。
でも、その地で暮らすとなったら受け入れる反発するなり、とにかく何かしらアクションを起こさなければやっていくことはできない。
装丁家として今やあちこちで引っ張りだこの矢萩さんだが、実は我が夫は大学生の頃から知っていたのだという。
1997年と2000年にインドに行って興味が湧き、インドと名のつくものをいろいろチェックしているうちに、いつしか彼のサイトに辿り着き、とても緻密な絵を描くことに興味を持ったそうだ。
そして保土ヶ谷で個展を開催していると知り、たまたま電車でいっしょになった友達の弟に「保土ヶ谷って降りたことないだろ。これから行ってみない?」と強引に誘って(笑)、ふたりで会場へ。
会場にはたくさんの人がいて、恐らく矢萩さんと思われる人が応対に追われる姿が視界に入り、作品を見た後に話しかけてみよう、とずっと思っていたせいかドキドキしっぱなし。
しかし人の波は途切れず、かといって友達の弟を長時間突き合わせるのも申し訳なく思い、結局話すことなく会場を去ったのだった。
あれから約15年。
『偶然の装丁家』が発売されたと聞いてずっと気になっていた。
そして、読み終えた後、心の奥からじわじわと「やっぱり本をつくるっていいなあ」という気持ちが湧いてきた。
そう思わせてくれる制作の原動力が、静かに、でも力強く、ページのあちこちからにじみ出ている。
この本は、本づくりをしている人、本をつくりたいと思っている人、本を読むのが好きな人にはぜひ読んでもらいたい一冊だ。
思えば旅音が出版に至ったきっかけも「偶然」の賜物だったよなあ。
もちろん「偶然」が生まれるようそれなりに努力もしたけれど。
今年は本をつくろう。いい本にしよう。
大いに刺激を受けて改めて決意しつつ、読後の余韻に気持ちよく浸っているところである。