昨日、チビオトが初めてひとりで自転車に乗れた。
腕に力を入れてハンドルを握り、必死でペダルを漕ぎ、補助輪なしでサーッと目の前を通過していった。
自転車を譲り受けたのは一年以上前のこと。
乗り慣れないためかあまり興味を示さず、もっぱらペダルなしキッズバイクばかり。
ようやく最近になって「やってみようかな」と言い出したものの、後ろで支えながら10メートルほど乗ると「もうおしまい」とすぐに練習をやめてしまい、乗れるようになるのはまだ先の話かと思っていた矢先の出来事だった。
支えていなかったと伝えると、大興奮で「のれた、のれた、ぼくのれたね! すごいね!!」と非常にうれしそうで、それからは少しスピードを上げて風を切って「きもちいい~!」と言いながら、楽しそうに何度も何度も乗っていた。
僕の人生最初の記憶は、自転車をひとりで乗れるようになった日のことだ。
家の近くにある車通りの少ない通りで、母や幼なじみといっしょに練習していて、ついに成功した。
ひとりで乗れたことが本当に嬉しくて、今でもたまに思い出す。
自転車に乗れたときのことを、僕はたまたま覚えていたけれど、もしかしたらチビオトは忘れてしまうかもしれない。
でも、それでいいと思う。
ついでに言えば、今までいっしょに旅したときの様子も、忘れてしまっても構わない。
その瞬間に感じたことが、そのときどきの心の糧になって成長につながり、後々彼の人生に生きてくると信じている。
現にチビオトは0~2歳の旅の記憶はほとんどないように思う。
それでも毎年どこか海外に出かけるのを楽しみにしているし、過去の旅の写真を見たがる。
さすがに最近は多少記憶に残るらしくて、「モロッコまたいきたいね」、「ひこうきにのって、ドーハにいって、それから……」などと話すようになった。
次の渡航計画について話すとキラキラした表情を見せるのは、きっと過去の旅の影響のはず。
だから、忘れてもいい。必ず次につながるから。
さて、話を戻そう。
自転車に乗れるようになって得たもうひとつの大切なことは、乗れないと思い込んでいても、練習を重ねればいつかはできるようになるという生きた経験だと思う。
チビオトはこれからたくさんの「できた!」が増えていき、自信につながる。
成功体験を得る機会があまりなくなった大人は、子どもの姿を通して過去の自分の達成感とダブらせて、しみじみ喜びを噛みしめる。
はたして、大人になったときにチビオトが「人生最初の記憶は……」と思い出すのは、どんな出来事なのだろう。
今はまだまったく見当がつかないが、これから毎年、彼岸花を目にするたびに、僕の頭の中にはこの日のことが懐かしく蘇るだろう。
by スミサト